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執筆者の写真江益 凛

短編『歪み』







マンションから駅まで。

これまで何往復しただろうか。

何度このドブ川を渡ったのか。



ふとした時。

私はこの川に

スマホを投げ込みたくなる時がある。

24時間四六時中。

世界と私をつなぎとめる

この手錠に嫌気がさすのだ。

知りたくないことも

全部伝えてくる

この文字盤に嫌気が差すのだ。

捨ててしまいたい。



でも、捨てたら

後で面倒になるのはわかってる。

お金も手間も膨大だ。

だから仕方なく

私はその衝動を殺すのだ。

結局は独りが怖いから。



明大前駅から徒歩7分。

築25年。鉄筋コンクリート。

4階角部屋。1k。6畳。

ユニットバス。



ここが彼氏の家だ。

週3、4くらいで入り浸っている。

私が仕事から帰ってくるのは

大体19時くらいで

夜勤をしている彼と大抵入れ違いだ。



それでも会いに行くのは

顔くらい見たいからなのか

もう1年近くこの生活をしているからかは

わからない。



部屋に入ると電気がついていた。



「ただいま」



返事は返ってこなかった。

電気をつけっぱなしで

出て行ったらしい。よくあることだ。



彼は無防備な男だ。



例えば。



時々近所のTSUTAYAで借りたと思われる

アダルトビデオがベット下に

転がったままだったりする。

私は見て、見ぬふりをする。



女というのは意外と鋭いのだ。



例えば。



LINEの通知に同じ女の名前が

しきりに表示されていたことも。

最近は通知の時に

メッセージを表示されないように

設定を変えたことも。

今までは人と会うときは

相手の名前とか関係性を言っていたのに

最近は「飲み会」とか「人に会う」

っていうようになったのも。

私は見て、見ぬふりをするのだ。



あんまり言及すると、

「メンヘラ女」とか「束縛女」とか

言われそうだから。

それで嫌われるのが怖いのだ。

「浮気は文化だ」とか

いう言葉があるみたいに。

人間一人の人を愛し続けるのは

難しいと思うのは確かだ。

でも、せめて自分がその人を愛しているうちは

その文化を採用しないで欲しいなと。

…そう、思うのはわがままなのだろうか。



『今日、ヘルプで夜勤入ってる』



彼からのメッセージが

スマホのホーム画面に表示された。



窓際に転がっている

山盛りの洗濯物カゴには

彼の勤務先の制服が

ぐちゃぐちゃになって投げ込まれている。



『わかった。仕事頑張ってね』



私は絵文字付きで返事した。

それから、山盛りの洗濯物を

洗濯槽へ放り投げた。

私は家政婦か。と、心の中で呟いた。



スマホが鳴った。



彼氏ではない男からだった。

最近、急に連絡が来るように鳴った

昔働いていたバイト先の

社員さんからだった。



『今日、吉祥寺で飲んでるんだけど来る?』



23時半。

終電はまだある。

幸いまだ洗濯物は回す直前だ。

明日、仕事で一日予定がない。



私は、馬鹿ではない。



大体ラインのやりとりで

相手が自分に好意があるかはわかる。

…いや、女の大半は

ラインのやりとりで

脈ありかなしかわかるだろう。

意中の人とのラインのやりとりを

友人に見せて

「これってどうかなぁ!」

なんて騒いでいる奴は大抵

ただ最後の一押しを

誰かにして欲しいだけだ。



私は、馬鹿ではないので。



この時間に飲みに急に誘う男が

何を考えているかなんてわかる。



『いいですよ。今から行けば24時過ぎには着くと思います。』



スーツから、

彼氏の家に置きっぱなしにしている

私服に着替える。

付けっ放しだった電気を消す。



それから。

玄関先で彼氏のラインのトーク画面を開き、

「通知オフ」に設定した。



****



「おう、久しぶり」



実際に会うのは

一ヶ月ぶりくらいだろうか。

前は例のバイト先の

OBの集まりが急遽開かれて、

たまたま休みだった私は

顔出し程度に参加した。



その時以来だ。

ちなみに連絡を取り合うようになったのも

それくらいからだ。



改札の前で待ってくれていた先輩は

ジーンズにパーカーという

ラフで寒そうな格好だった。



「仕事終わり?」


「はい」


「やー、疲れてるとこ悪いね」



そう行って南口の方へ向かう。



「この前さ、ほら、バイトの集まりの時。お前と久々だったのにあんま話せなかったじゃんか。それにほら、ここら辺に住んでるって言ってたし、もしかしたら暇かなって思って」


「にしても、連絡急ですね」


「いや〜。計画が苦手だからさ。あ、明日は?仕事?」


「いや、仕事はないんですけど、一応昼過ぎから予定あって」



嘘だ。これは保険だ。

何かあった時に逃げれるようにの保険だ。

あまり無意味なのもわかっているが。



「あ、そうなの?大丈夫?」


「あぁ、まぁ、別に大丈夫じゃないですかね」


「そっか、ならいいけど」



駅から少しだけ歩いたところの

5時まで営業している大衆居酒屋に入る。

0時も回っているのに

店員は元気だ。気が知れない。

奥の方のテーブル席に通されるや否や

彼はビールを注文した。



「カズサは?どうする?」


「あ、じゃあ、ハイボールで」


「え、ビール飲めないの?」


「いや、飲めるんですけど、ハイボールの方がカロリー低いので」


「なんだよ、そんな理由かよ」



彼は馬鹿にしたように笑った。



私は短大を卒業したのちに就職。

だが職場が合わずに転職した。

その転職までの期間のバイト先の社員が

彼だった。

私よりも10歳も上だが

見た目はそんなに老けていない。

彼は私がまだそのバイト先に

入りたての時の教育係でもあった。



「最近仕事はどうなの?」


「まぁ、ぼちぼちですかね」


「また合わなかったら、戻ってきてもいいんだからね」


「出戻りだけは嫌です、絶対」


「なんだよ〜」



たわいもない話をするや否や

ジョッキが届いて

「お疲れ」と、乾杯。

何が「お疲れ」なのかわからないが

とりあえず合わせた。



店員が立ち去っていくのを見て

料理を注文していないことに気がついた私は

慌てて注文タブレットに手を伸ばした



「宮代さん、料理、何食べます?」



ジョッキを仰ぐ彼は

半分くらい飲んだところで

目を丸くしながらこっちを見た。



「あ、もしかしてカズサ、夜飯食ってない?」


「あ、食べたんですけど、宮代さんはどうかなって」



なんでこういう時も

気を使ってしまうのだろうか。

私はどうしても遠慮をしてしまう。

何も食べていないのに。



「俺、酒飲む時はあんま飯入んないからさ。枝豆とか、そういう系でいいや」


「じゃあ、枝豆頼みますね」



言われた通り、枝豆だけを注文する。

飲み込んだハイボールは

美味しいとは思えなくて。



そういえばビールもハイボールも

そもそもお酒があんまり

好きでも、強くもないことを思い出した。

少し前、彼氏とお酒を飲みに行ったとき、

梅酒を飲みすぎて

ベロベロに酔っ払って

帰り道に騒ぎながら帰ったら



「お前は酔うとめんどくせぇ」



って、呆れられたのを思い出した。



「最近お店はどうですか?」


「うーん、やっぱ3月だからかな人はやめるし、新人は使えないし…とにかく人手が足りなくて大変だよ」


「入れ替わりのシーズンですもんね、ちょうど」


「そうか、そういやお前も去年の年度末…おお、もう辞めて1年も経つのか」


「そうですよ。ってか、これこの前話しませんでしたっけ?」


「あ、そうだった?」



と、笑い飛ばす彼を見て私も思わず笑ってしまう。



「え、もう酔ってます?」


「まさか。まだ1軒目だからな。」


「え、1軒目って、はしごするつもりですか?」


「場合によってだな」



彼はそういうと残りのビールを飲み干した。

私も慌ててハイボールを流し込む。



「お、飲めるね〜」



三分の一まで減った私のグラスを見て

彼はおちょくるように言い放つ。



「無理すんなよ」



でも、二言目は優しかった。



そこから、昔のバイト話に

花を咲かせた。

今の二人の共通項としては

それくらいしか無いからもあるだろう。



空きっ腹に流し込んだ酒は

たったジョッキ2杯半で

私をフワフワにする。

酔うと私は笑い上戸になる。

彼はそれを面白がって

変なことばっかり言うようになった。

私たちの卓は次第に

ボリュームを上げていった。



「いやいや、カズサ、めっちゃ言うじゃん!」


「だって!宮代さん、マジで最初会った時愛想悪すぎて!ヤカラにしか見えませんでしたから!マジで!!」


「まっとうだわ!なんなら大学も出てるわ!」


「大学って言っても経済ですよね!!」


「経済の何が悪い」


「ウェイ済学部って、いじられるの知らないんですか?」


「いや、マジでお前めんどくせぇな!」


「いやいや、宮代さんまで彼氏とおんなじこと言わないでくださいよ!」



思わず滑った言葉に一瞬だけ我に帰る。

くにゃくにゃの思考の中で

ちょっとだけまともな部分が蘇った。



「いや彼氏にめんどくさがれるとか!え、なんで?仲悪いの?」



半笑いでそのワードに食いつく宮代を見て

少しだけ言葉を選んだ。



「仲悪いと言うか、生活時間合わないんで、なかなか」



いや、選んだと言えるのかわからない言葉を発してしまった。



「生活時間合わないのはなかなかきついよな〜。でもまぁ、好きなんでしょ?」



…この質問に対して

言い淀んでしまった私も私だった。

彼は急に真剣な面持ちになる。



「え、なんかあんの?」



…なければ、こんなところに

ホイホイ来ない。



「いや、彼氏のことを悪く言うのはあんまりどうかと思うんでアレなんですけど」


「いいじゃん、誰かいるわけでも無いし、愚痴ぐらいなら聞くよ」



どうせ彼は何を話したって

私を擁護してくれるだろう。



最近、彼氏のラインに

通知が頻繁に来ること。

出かけ先を濁すようになったこと。

今日だって制服を置いたまま

「仕事」に行ったこと。



わかってる。

私はいい彼女を演じたくて

ただただ我慢しているだけの

バカな女だと言うことも。

もしかしたら違うかもしれないって

ただただ淡い期待をしている

バカな女だと言うことも。



「何それ、最低だな」



やっぱり彼はそう行ってくれた。

テーブルの上の枝豆は

いつの間にか空になっていた。

先輩は一体何杯飲んだのだろうか。

顔色ひとつ変わってなかった。

対面から手が伸びてくる。



「辛かっただろうな」



男の人の手が、頭に乗った。

こういう風にされるのは

いつぶりだろうか。

温もりが伝わってきた。



「よし、今夜はパーっと飲み明かすぞ!」



そう行って彼は店員に

お会計を促した。



私の彼氏は最低だ。

最近は返事も遅い。

でもあんまり言及すると

重たく思われそうだから、

我慢しているのだ。

私の彼氏は最低だ。

知っているんだ。

「みき」って人と

ラインがずっと続いていることも。

この前の週末、

その人と飲みに行ってた事も。

私の彼氏は最低だ。

最低なんだ。

最低なんだ。

彼も言ってる。



だから。

今から「どこか」で

飲み直そうとしてる彼は、

私を慰めてくれようとしてて

最低じゃ無い。

それを受け入れようといている私は

最低じゃ無い。



夜道。



彼は私の手を繋いだ。

私は酔っ払っているから、

静かに彼の足取りに従った。



****



駅へ向かう人の波に逆らって、

私は歩いていた。



通知が来ていた。

ドブ川に差し掛かった。

スマホを強く握った。

やっぱりできなかった。

私は通知をオフにして、

それから。



彼氏のラインの通知をオンにした。



家に帰るとちょうどそこには

疲れた顔で

カバンから制服を引っ張り出している

彼がいた。



「おい、お前どこ行ってたんだよ」



彼氏は心配そうに私を見た。



「友達に誘われたから飲んでた」


「お、そうなんか。珍しいな」



彼氏は洗濯物を回している。



「今日夜勤までに制服乾くかな〜。昨日洗濯忘れちゃって予備がないんだよな〜」


「…夜勤だったんだ」


「え?うん。あれ、ラインしたよね、俺」


「…うん」



彼は、ちゃんと、

仕事帰りの格好をしていた。



「じゃあ、俺寝るわ」


「私も寝る」


「うん、一緒に寝よっか」


「うん」



私はベットに潜り込んだ。

それからそっと。

ラインの通知設定を変更した。




Fin.

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